モンスターエンジンの西森洋一さん登場!!
俺をホームセンターに通わせてくれ!

「1本しか入らない爪楊枝入れ」「チュッパチャップスを高速で回す機械」ーーどの作品も鉄製で無駄に重い(笑)。そんな鉄アート作品をつくっているのは、お笑いコンビ「モンスターエンジン」の西森陽一さん。実は大阪府立西野田工業高校(現・西野田工科高校)の出身で、実家は鉄工所。ご自身も鉄工所で働いていた経歴を持つ西森さんに、芸人になった今でもモノづくりを続けている理由を訊ねたら、熱〜い話が聞けちゃいました!

〈vol.14 夏号(2021年7月発行)より〉


「俺をホームセンターに通わせてくれ〜」ってなる(笑)

ーー工業高校のご出身なんですね。

 はい。世の中にあるいろいろな製品のデザイン、例えば、車のボディとか、そういうものに興味があったので、工業デザインについて広く学べる西野田工業高校に入学しました。

ーーどんな高校時代を過ごしましたか?

 木製のセロテープホルダーを一からつくったり、架空の公園や喫茶店のデザインを考えて、それを模型や図面に起こしたり、今みたいに3Dプリンターなんてない時代なので、公園の柵なんかは全部紙で手づくりして。学年が上がるごとに実習の時間が増えていき、3年のときには一日中、モノをつくる日も多くて、楽しかったですね。

ーー工業高校での学びが、こんなふうに役立った!みたいなことはありますか?

 自分で何かをつくることを死ぬまで1回もやらない人っていると思うんですよ。でも、僕は入りたかった工業高校に入学して、つくりたいモノをつくらせてもらって、モノづくりの面白さを教えてもらいました。例えば、壊れたバイクを自分で直して、実際に走るようになった瞬間って感動します。そういうときにモノづくりの勉強をしていてよかったなぁと思います。バイクのキャブレター(燃料と空気を混合する装置)の知識なんかは独学で学んだんですけど、でも、モノづくりの面白さを教えてもらったから、あんなモノをつくってみたい、これできそうやなと思ったら、自分で調べて、自分でやってしまうんです。仮にモノづくりをやるなって言われたら、僕は死ぬと思いますよ。「俺をホームセンターに通わせてくれ〜」ってなる(笑)。今はホームセンターで買い物をして、何かをつくっての繰り返しなので。


ほぼ必要のないモノばかりつくっています

ーー高校を卒業して鉄工所に就職したあと、お笑い芸人を目指したそうですが、どんなきっかけがあったんですか?

 就職先がしんどい職場で、4畳半くらいの大きな鉄板をサンダー(研磨などに使用する電動工具)で黙々と削っているときに、俺は何をしているんだろうと思ったんです。それで、よく考えてみたら、お笑いが好きだったなと思って。それで吉本興業の養成所に入りました。でも、芸人になってしばらくしてからも親父の鉄工所を手伝っていました。

ーー鉄工所ラップなど、モノづくりにまつわるネタも多いですよね。

 僕は本当に鉄工所で働いていたし、今でもモノづくりをしているから、そういうのが芸人としての武器になった。これを他の人がやってもやりようがないと思います。

ーー他の人ができないといえば、モノづくり系の動画をアップしているYouTubeチャンネルも西森さんならではだと思います。

 コロナ禍でYouTubeを始めた芸人も多いのですが、僕はもう4年くらいやっています。もともとは吉本興業の社員から「実家が鉄工所なんだから、何か作品をつくったら?」と言われたのがきっかけでした。当初は撮影など何もしていなくて、ただただ親父の工場へ行って、ただただつくって、ただただ完成品を一人で見て笑うっていう(笑)。自分でも、どういうつもりだったんやろって思うけど(笑)。

ーー作品のアイデアはどこから生まれるんですか?

 普通の工業製品をつくっても意味がない。それから部品がスライドするとか、動きがあるものがいい。それで動かしたときに「なんやこれ!」って笑えるモノ。そう考えて最初につくったのが、1本だけ入る爪楊枝入れ。手のひらに入るサイズだけど、鉄製だから重いんです。だいたいみんな、最初の感想は「重っ!」。それで開けたら1本だけ(笑)。世の中にほぼ必要のないモノばかりつくっています。


小4のとき、ラジコンをヘリコプターに改造

ーー鉄アート作品以外にも、15分間回り続ける鉄製のコマだったり、子供用自転車をロードバイクに改造したりと、一つ一つの技術もすごいけれど、いろいろなことができることにも、すごいなと思います。

 中学の頃から親父の工場の手伝いをしていたんです。家での作業はケガをしないように簡単な説明だけあって、いきなり実践。たまに親父が見に来て、「これは違う」「このほうがいい」って言われて、そんなふうに経験を積んでいきました。

 それに小さい頃からメカで遊ぶのが好きで、まわりはミニ四駆なのに僕はサスペンションとかの機能する機構にすごく興味があったから、ごっついラジコンカーで遊んでいました。小学4年のときにラジコンカーにプロペラを付けて、ヘリコプターに改造したことがあったんです。結局、全然飛ばずに部屋中を暴れまわって、車体は粉々に壊れましたけど(笑)。

ーー幼い頃から、いろいろなモノづくりの経験をされていたんですね。

 今でも、これをこうしたらうまくいくかなとか考えるのが好きですね。その反面、あまり調べない。だからよく失敗します。でも、失敗しないようにネットで検索してから試した技術って、身につかないし、考えてつくらないから、その技術を応用することにつながらないんです。だから、良くも悪くも僕は計り知れないくらい失敗を重ねています。

1本しか入らない鉄製のつまようじ入れ。フタになっている上部をスライドさせると、1本だけ収納されたつまようじが現れる

チュッパチャップスを高速で回す機械。ベアリング(回転を助ける軸受け)を5つ内蔵することで滑らかな高回転を実現

鉄製のコマ。「精密につくったので自信はあったのですが、まさか15分もまわるなんて。あれは感動しました」と西森さん


人前に出たとき、すべてが楽しくなる

ーーそうやって失敗しながらも、モノづくりを続けている原動力ってなんでしょうか?

 つくって人前に出す。モノづくりは、それがセットかなと思います。お笑いの鉄アートは誰かに見てもらって笑ってくれたら嬉しいですし。一般的な製品、例えば、バイクのマフラーをつくってる職人さんだって、お客さんがエンジンをかけてブォ〜ンとなった瞬間に「めっちゃ、ええやん!」ってなると思うんです。そこにたどり着くまでには嫌な作業もありますけど、人前に出たときのことを思うと、すべての工程が楽しくなりますね。

ーーモノづくりの魅力って何でしょうか?

 中学のときに親父に鉄アレイを買ってくれと頼んだら、「そんなもん、買わんでつくれ!」って言われたんです。それで親父に教わりながら、鉄の棒の両サイドに重りをつけるために、タップという工具を使ってネジ山を切りました。手で工具をぐんぐん回して、ゆっくりネジ山が切れていくのを見たとき、ムチャクチャ感動したんです。普通、ネジ山なんて、自分でつくれるとは思わないじゃないですか。でも、これを自分でできるなら、あそこにもネジ山が開けられるんや!って。そう思うと、モノづくりがどんどん楽しくなっていきました。


また工業高校に通いたい!?

ーー現在、モノづくり東大阪応援大使の活動をされていますが、東大阪の町工場はどんな状況ですか?

 全部の工場を知っているわけではないけれど、若い人はやっぱり少なくなっているのかなと感じます。だから、ちょっとだけでいいので、実際に工場で何かの作業をする体験を若いうちにできるといいんじゃないかと思います。「工場でこんなのつくりたい!」「俺、こんなの好きやわ」みたいな経験ができると、興味を持つ若い人も増える気がします。

ーーそのためにも工業高校の学びは大切、ですよね??

 ほんまに高校生活は楽しかった。今からまた通いたいくらい。どの学科も学んでみたいですね。機械いじりをしていて、いつも電気の分野でつまずくんで、電気科なんてマジで通いたい。以前、溶接科を見学したことがあるんですが、そんな科あるんや、最高やないかって。機械科でも一から学んでみたい。

 工業高校って、僕がいいとこやと思いすぎているから、「工業高校のいいところって何ですか?」と訊かれても、逆になんて言っていいかわからない(笑)。

 現役の生徒さんは「これ好きかも」「これ面白い」ということをどんどん突き詰めていくと、本当に将来、「やっててよかったな」と思うときがくると思う。だから、ほんまに好きなモノづくりの経験をどんどん積んで欲しいですね。

西森 洋一(にしもり よういち) 1979年生まれ。現在の府立西野田工科高校を卒業後、鉄工所に就職し、3年半勤務。2007年に相方の大林健二さんとお笑いコンビ「モンスターエンジン」を結成。さまざまな新人賞などをコンビで受賞。近年は「町工場芸人」としても活躍の場を広げている

モンスターエンジン西森チャンネル

取材・文/阿部 伸