まんまるネガネに軽妙な語り口、といえば、みなさんご存知「わくわくさん」こと俳優の久保田雅人さん。
23年続いた人気工作番組『つくってあそぼ』から、モノづくりの楽しさを学んだ人は多いはず。
そんな〝工作の伝道師〟が語る、「モノづくりの真髄」とは!?
落語と映画の高校時代。そして「わくわくさん」へ
高校時代は、落語と映画制作に没頭しました。小学校から落語が好きで、高校でも落語研究会に所属。映画作りは、企画、脚本、演出まで全部自分でやりました。ちょこっと出演もしたけれど、もう内容は覚えていません(笑)。
大学では教員を志望しましたが、大学4年生のときに演劇に出会ってしまったんです。ふと立ち読みした雑誌に劇団第1期生の募集を見つけてね。ちょうど教育実習で挫折を味わった時期だったので、演劇が心のスキマに入り込んできたんでしょう(笑)。
入団した劇団は、アニメ『ワンピース』のルフィ役などでご活躍の田中真弓さんが副座長を務めていました。そこで、NHK 教育テレビが工作番組『できるかな』の後続番組の出演者を探している、という話があったんです。同局の番組に声の出演をされていた田中真弓さんにオーディションを薦めていただき、『つくってあそぼ』に「わくわくさん」として出演することが決まりました。
映画に落語に、多趣味な高校時代を過ごした久保田さん。「勉強はしませんでした」と笑う。それにしても、雰囲気がぜんぜん変わってない!
「見せ方」にこだわり、試行錯誤を繰り返す
番組スタート当初は、ひどいものですよ。ちゃんと工作を見せることができないんですから。番組スタッフからよく怒られました(笑)。ハサミの使い方ひとつにしても、子どもたちに正しいハサミの使い方を見せるように切らなければならない。動きのある工作を作ったときには、その動きの面白さが伝わる見せ方を工夫しなければならない。これができないわけですよ。どうしたら子どもたちが「やってみよう」と思う面白い見せ方ができるのか。それが番組の命ですから、「どうにかしなければ」という一心でした。
それから、幼稚園などを訪問して、子どもたちの目の前で工作をする活動を始めたんです。子どもの生の反応から学ぶことはたくさんありました。試行錯誤を繰り返し、ようやく周囲から工作をほめてもらえるようになるまで、3年はかかりましたね。そのころから、相棒のキャラクター「ゴロリ」とも息が合うようになってきて、番組がスムーズに進むようになりました。「石の上にも3年」とはよく言ったものです。
自作の牛乳パックケースに収められた久保田さんの「7つ道具」
3年間を無駄にしないために
学生の期間も同じで、ちょうど中学が3年間、高校も3年間。大切なのは、3年間、自分の意思を貫いて頑張ることです。そこから就職して、また3年間、頑張ってみるってことなんです。
今、就職しても3年未満でその会社をやめる人が増えていますよね。貴重な3年間を無駄にしないためにも、最初に「それは本当に自分のやりたいことなのか」をよく考えることが大切です。親や先生はいろいろ言うでしょうけど、まずはキミたちが将来を選ぶ段階で「本気でやりたいか?」をもう一回、自分に問いただして欲しいと思います。
成功できたのは「本気の覚悟」があったから
私が演劇を志したとき、父親から「家を出ていけ!」と勘当されました。でも私は本気で演劇がやりたかった。それで自分を追い詰めるために、本当に家を出たんです。当時は貧乏のどん底(笑)。だからどんな役だって体当たりでやりました。父親に対して「演劇の世界で食えるようになってやる」という意地があったんでしょう。妻子を食わせていかなければならない、という男の意地と覚悟もありました。
番組が始まって数年した後、それまで兼業していた声優などの仕事を一切やめて「わくわくさんの役一本でやっていこう」と決心したのは、そんな意地があったから。「本気の覚悟」でのぞんだからこそ、23年間も番組が続いたんだと思います。
工作アイデア:ヒダオサム
〈創刊号(2017年10月発行)特集インタビューより〉
取材・文= 小泉 真治/写真= 高永 三津子/撮影協力=studio shake
text KOIZUMI SHINJI / photograph TAKANAGA MITSUKO / cooperation with photography STUDIO SHAKE