トヨタ自動車の河合満前副社長が モノづくりの真髄、伝えます

まさか、まさかです!あのトヨタ自動車の前副社長・河合満さんが取材に応じてくださいました〜!河合さんは、トヨタでは初となる技能職出身から副社長にまでのぼり詰めた、まさにモノづくりの神様!と、思ったら、社内では「おやじ」と呼ばれているのだとか?現在、同社のExecutive Fellowを務める河合さんに、モノづくりの真髄を聞きました!

〈vol.13 春号(2021年4月発行)より〉

鍛造部に配属されたら絶対にやめようと思った

ーー中学を卒業したら、大工か寿司屋になろうと思っていたそうですね?

 そうです。勉強はあまり好きではなかった(笑)。小さい頃からモノづくりが大好きだったので、大工か寿司屋と考えていたんです。

 ところが、母親に『高校だけは出て欲しい』と泣きつかれ、そこで思いついたのがトヨタ技能者養成所(現・トヨタ工業学園)に入ることでした。ここなら3年間、給料をもらえて、勉強も教えてくれる。それに、9歳のときに亡くした父がトヨタに勤めていたので、『親父の後を継ぐ』と言えば、許してもらえると思ったんです。

 しかし、今度は学校の先生から『お前みたいな馬鹿が入れるわけがない!』と言われました(笑)。実際にトヨタの養成所は優秀な人たちが集まる場所だったので、その日から必死に勉強をして、なんとか滑り込みで入ることができました。

ーー養成所ではどんなことをされたのでしょうか?

 学科と実習が半々で、実習ではトヨタのいろいろな工場を見学し、作業も行いました。中でも鍛造(たんぞう:加熱した金属を叩いて成形する加工法のこと)の現場は真っ赤に焼けた鉄が火花を散らして、すごく怖いし、とても暑いんです。1年生の終わりに配属先が決まるのですが、ここに配属されたら絶対にやめようと思ったほど。ところが、鍛造部に配属されてしまいました。帰宅してすぐ母親に「会社をやめる」と伝えたら、また泣きつかれて(笑)。

過酷な現場だったけど、仕事の楽しさにのめり込んでいった

ーーそんなに嫌だった鍛造の仕事に、その後ずっと携わるようになります。どんな心境の変化が?

 上司などからも説得されて、とにかく卒業するまでは頑張ろうと決めました。

 確かに危険で過酷な職場ではあるのですが、先輩たちが10kg以上もある真っ赤に焼いた鉄の棒を大きなハンマーで叩きながら、のをスイスイ動かして成形していく、その姿がカッコよく見えたんです。「俺もあんなふうになりたい」と思って真似をするけど、うまくいかない。先輩を観察して自分との違いを見つけては真似をする。そうするうちに、最初は怒鳴られていたのが褒められるようになり、褒められると嬉しくなり、どんどん仕事にのめり込んでいきました。

 エンジンのクランクシャフトや足回りのミッションギアなど600点くらい扱っていたのですが、それぞれ難しさが違うんです。できる仕事が増える度に嬉しかったし、「俺はあいつよりも多くつくれるぞ」と競い合うのも楽しかったですね。

ーー新人の頃は失敗することもありましたか?

 不良品を出して怒られるなど、失敗は数えきれません。でも、先輩たちは厳しくも愛情深くて、失敗は「仕方がないこと」と受け止めてくれました。そうやって仕事を叩き込まれ、原理原則を体得できたおかげで、焼けた鉄がどういう型ならどう流れていくのかなど、頭の中で全部わかるようになりました。

 だから、今でも不良があると僕が手伝って、「たぶん、ここに問題があるぞ」というと、ほとんど当たる。今はシミュレーションなどがあるけれど、やはり原理原則を理解しないとわからないこともありますね。

河合さんがトヨタに入社した1966年は、今でも人気が高い「カローラシリーズ」の第1号車が誕生した年でした

学歴ではまわりの部長に勝てないけれど、俺にはみんながいる

ーーこれまでの経歴の中で印象に残っている役職はありますか?

 入社当時、一番カッコいいと思ったのが、現場の最高責任者である工長です。威厳があって、偉い人たちに対しても、「そんなことはできん!」と突っぱねて、我々を守ってくれる。逆に我々がいい加減な仕事をするとメチャメチャ怒る。仕事をよく知っていて、面倒見もよく、僕はこの工長みたいになりたいと思っていました。だから、工長になったときは感慨深かったですね。

ーー河合さんは技能職出身でトヨタの専務役員になった初めての方です。てっきりそうした役職のほうに思い入れがあるのかと思いましたが、違うんですね。

 2005年に本社工場の鍛造部の部長になりましたが、それも技能職出身者で初めてのことでした。部長に着任した数日後に「みんなを集めたから所信表明をやってくれ」と言われ、100人くらいの前でこんな話をしました。「俺は中卒だから、まわりの大卒の部長には頭では勝てないけど、現場に長く携わってきた俺にはみんながいる。それだけは絶対に負けない。そして、俺が部長として結果を出せたら、技能職から次の部長が誕生する。だから、次の世代のためにも、みんなには頑張って欲しい」と伝えました。

 実際にその後、技能職出身の部長は増えています。学歴や年齢に関係なく、適材適所で働ける、技能職にとって明るい状況をつくり出すことができたのは嬉しいですね。

「神」ではなく、オヤジ?

ーー河合さんは副社長室を本社工場の鍛造部につくったそうですね。

 工場にはお風呂があって、今でも朝6時に来て入るのが日課なんです。だから、副社長に就任する際、「風呂のない事務所に行くなら会社をやめる!」と言いました(笑)。それで特別に鍛造部に部屋をつくってもらったんです。

 やっぱり現場の音とか匂いとか、ザワザワしている雰囲気とか、そういうものを感じていないと勘が鈍るような気がするんです。僕はいろいろな工場に出向きますが、従業員の顔や現場の雰囲気を見ると、うまくいってるかどうかがわかるんです。そういう勘を鈍らせないためにも、これからも現場を拠点にしていたいと思っています。

ーーロッカー室も工場勤務の方々と同じそうですね。

 現場の人間に「おはよう」と声をかけると「オッス!」と返ってきます(笑)。僕のことを「副社長」とか、今の肩書きで呼ぶ人間は一人もいません。風呂に入っていると、「オヤジ、また二日酔いか?」と冗談を言われることも(笑)。

ーー河合さんはモノづくりの「神様」ではなく、「おやじ」なんですね(笑)。現場では組長や工長のことを親しみや敬意を込めて、「おやじ」と呼ぶとうかがいました。それは後輩を厳しくも守って育てる「父親」のような存在なのかとも感じました。

 家族的に対応するのはトヨタの良さかなと思います。やっぱり金も時間も情報も自動化も、人がどう活かすかです。全部、「人」がやることなので、「人」をしっかり育てたいという思いがあります。

 本当は専務になるときも、「絶対に嫌だ」とことわり続けたんです。中卒の重役なんてありえないと。そうしたら、最後に社長が「後輩のために、俺らも頑張れば、ああいうところに行けると示すためにも肩書きを背負ってくれ」と言われました。後輩のためにと言われてしまうと、もう何も返せませんでした。

工場内で若手を指導する河合さん。河合さんは今でも時間のあるときには工場に足を運ぶ

リーダーになるために必要なこととは?

ーー若い技能職が河合さんのような立場まで上り詰めるにはどうすればよいでしょうか?

 リーダーになると偉くなるわけではなく、その分、責任が大きくなるだけなんです。リーダーの仕事は部下が伸び伸びとやりがいを持って仕事ができる環境を整えること。そして、リーダーが一言言うと部下がワーっと動いてくれる。

 僕の場合は、ありがたいことに、部下や同僚が一緒になって戦ってくれて、助けてくれたから今があると思っています。だから、社員の昇進を考えるときは、技能はもちろん見るけれど、一番は人間力というのかな。その人がどれだけまわりから信用されていて、その人が右と言えば、みんなが右に動くかどうか。会社はやっぱりここ一番のときに統制が取れないといけませんので、そういうことができる力、人間力を私は一番に評価しています。

ーーこれまで携わってきた仕事でもっとも達成感があったプロジェクトは何ですか?

 鍛造部は課長、次長、部長という順に序列が上がっていくのですが、課長と部長に挟まれた次長というのが、案外、責任が少なく、物足りなさを感じました。その分、やりたいことに集中できる立場なので、何かひとつやってやろうと思っていました。

 工場内では、モノは流れながら形を変えて完成品になります。ただ流れているだけでは付加価値は生まれません。形を変えるときにだけ、付加価値が生まれるのです。だから、いかに早く形を変えて完成させて、そのスピードでお客様に買っていただくことが大切なんです。

 当時、ある1個のモノをつくるのに3日間で32工程をかけてつくっていました。ところが、その生産ラインをよく観察してみると12工程でしか形を変えている箇所がなかったんです。だから、僕はその12工程を連結させて一連のラインにすれば、もっと早く完成するはずだと考えました。それを上司に伝えると、「絶対に失敗するからダメだ」とことわられました。けれども諦めきれず、仕事終わりに後輩二人に声をかけ、飲みながら自分のアイデアを伝えました。二人は一日考えたあと、「河合さんがやるならいいよ」と言ってくれたんです。

 失敗すれば生産ラインが止まるため、会社は大損害です。当然、上司からもまわりからも反対され、賛成してくれる人なんて皆無でした。だから、本当に命がけだったんです。不安で眠れない日々が続きましたが、3人で必死に取り組んでいると、現場の人たちがじょじょに手伝ってくれるように。そうして完成したラインは予想以上のもので、結果的に3日かかっていた作業が20分に短縮され、高い評価を得ることができました。今の私があるのも、あの二人が一緒に戦い、頑張ってくれたからだと思っています。

モノづくりの真髄、伝えます

ーー高校時代にしておいたほうがいいことはありますか?

 勉強もそうだし、遊ぶのもそうだし、一つ一つを一生懸命に打ち込むといいと思います。上辺だけかじっていると「こんなもんか」で終わるんです。一生懸命に打ち込むと、面白さが出てきます。それに結果が悪かったとしても、あれだけ頑張ったから仕方がないと思えるし、じゃあ、次は違うことをやろうと気持ちも切り替えやすくなります。

 頑張った結果に対して、何か文句を言われたら、僕は「俺の能力を見抜けないあんたが悪い!」と思うようにしています(笑)。そうするとストレスも溜まらない。だから、僕は案外、反省をしないんです(笑)。

ーー最後に、モノづくりの真髄を教えてください。

 モノづくりってキリがない。いい車ができたと思っても、数十年後には思いもよらないすごい車が走っている。この先だって、もっと進化していくし、さらにいいモノをつくっていく。だからキリがないんです。そこにモノづくりの醍醐味があると思います。よそがいいモノをつくれば、こっちはもっといいモノをつくろう。そういう競争が生きていく上で一番の楽しみですね。

 だから、若い人たちには技能五輪のような大会でもいいので、モノづくりをしているところを多く見て、触れて、日本人でなくちゃつくれないモノがたくさんあることを知って欲しいです。これからの日本のモノづくりのためにも、ぜひお願いします。

文/阿部 伸  写真提供:トヨタ自動車